閉幕3日前の万博、最後の悪あがき
10月10日。私にとって19回目となる大阪・関西万博。閉幕まで、あと3日。
もはや会場への入場予約は絶望的で、これが私にとって最後の万博体験となる。だからこそ、この最後の万博体験では、これまでとは違う視点で臨むことにした。会期末の混雑は凄まじく、人気パビリオンは抽選に当たらなければ行列に並ぶことすら許されない。そんな状況では、パビリオン巡りを中心に据えることはもはや不可能だ。このどうしようもない現実が、逆に私の発想を転換させた。「パビリオン以外で、やり残したこと」。そう、今日の私のテーマはそれだ。
この半年間、未来社会の実験場、「People’s Living Lab」を標榜してきたこの場所で 、私自身が最後の個人的な実験を試みる。それは、壮大な展示を追いかけるのではなく、この巨大な会場の隅々に染み込んだ、ささやかで、しかし見過ごされてきた魅力を自分の足で拾い集める旅。東ゲートから西ゲートへの徒歩移動、覚悟を決めた長蛇の列、幸運にもぐりこんだガンダムパビリオン、金銭感覚を麻痺させる昼食、意識の外にあったパブリックアート巡り、未来の騒音を確かめるデモフライト、そして、いつも見ていたシンボルをまったく違う角度から眺めるための辺鄙な場所への探訪。
閉幕を目前にした喧騒のなかで、私だけの「やり残しリスト」を完遂するための、最後の悪あがきが始まった。
その1:己の足で踏みしめる夢洲:東ゲートから西ゲートへの1.6km
最初のミッションは、これまで一度もやったことのない、しかしずっと気になっていたこと。東ゲートから西ゲートまで、己の足で歩くことだ。
通常、夢洲駅に直結する東ゲートは、大阪メトロで訪れる来場者の大半が利用するため、常にごった返している。事実、来場者の約7割がこの東ゲートに集中するという。この混雑を緩和するため、西ゲートの午前中の入場予約を持つ人限定で、午後1時までの間、東ゲートから徒歩で西ゲートへ向かうルートが解放されている。2日前の追加予約で滑り込みで確保できた西ゲート午前10時の入場予約。この偶然の巡り合わせが、私にこのルートを歩くという「特権」を最後にもたらしてくれたのだ。
距離にして約1.6km。所要時間は30分ほどと案内されているが、秋口の心地よい気候のなか、流れに乗って歩けば20分ほどで着いてしまう。道中は、普段シャトルバスの車窓からぼんやり眺めるだけの、万博会場の「裏側」ともいえる景色が広がる。左手にはバスを待つ人々の列と東ゲートの喧騒、右手には「ワクワクしてきた?」なんて書かれたメッセージボード。そして、歩みを進めるうちに、ガンダムの後ろ姿や、巨大な大屋根リングの側面が、いつもとは違う地上からの視点で目に飛び込んでくる。
この何気ない徒歩ルートが、実は万博という巨大イベントが抱える現実的な課題と、それに対する柔軟な解決策の象徴であることに気づかされる。当初は想定されていなかったこの道は、東ゲートのキャパシティが限界に達したことへの対応として、会期途中の6月に急遽設けられたものだ。私が今、快適に歩いているこのアスファルトの道は、万博が単なる未来技術の展示場ではなく、日々発生する問題にリアルタイムで対応し、運営そのものを最適化していく「生きた実験場」であることの証左なのだ。私自身の「人が多すぎてパビリオンに入れない」という不満が、このルートを歩く動機になったことを思うと、なんとも皮肉で、そして興味深い。
その2:3時間待ちの決意と、30分後の裏切り:オーストリア館とガンダム館の狭間で
パビリオン巡りが叶わないと頭では分かっていながらも、心のどこかでは未練が燻っていた。「最後だから、一つくらいは長蛇の列に並ぶという万博らしい体験を」。そう思い立ち、数少ない行列参加が可能なパビリオンの中から、待ち時間3時間のオーストリア館を選んだ。
オーストリア館のテーマは「未来を作曲」。万博全体のテーマ「いのち輝く未来社会のデザイン」を音楽という万国共通の言語で表現しようという試みだ 。螺旋状の楽譜をモチーフにした美しい建築のなかで、音と光のイリュージョンや、AIを使った作曲体験ができるという。並んでいると、入場整理券として紙の中に花の種を漉き込んだものが配られた。なんとも詩的で、3時間待つ価値はありそうだと思わせる。
しかし、ただ待つだけの私ではない。列に並びながら、私はスマートフォンの画面を睨みつけていた。公式アプリの当日予約ページから、ひたすら応募し続ける。一種の癖であり、万博会場における生存戦略でもある。すると、30分ほど経った頃、信じられない文字が目に飛び込んできた。「GUNDAM NEXT FUTURE PAVILION予約完了」。直後の時間帯の予約が、奇跡的に取れてしまったのだ。
花の種の整理券と、ガンダムへの招待状。オーストリア館の魅力にも惹かれ10分ほど迷ったが、最終的に私は後者を選んだ。オーストリア館の列をそっと離れ、足早にガンダム館へと向かう。この行動は、現代の万博体験が物理的な忍耐(行列)とデジタルな幸運(予約アプリ)のハイブリッドであることを示している。アプリがもたらす一発逆転の可能性は、万博の楽しみ方をある種「ゲーム化」している。3時間という物理的なコミットメントは、指先一つで手に入れたデジタルの「当たり券」の前に、いとも簡単に覆された。少しの後ろめたさと、それを上回る高揚感を胸に、私はガンダムパビリオンへと急いだ。
その3:ビームサーベルで農業を?:GUNDAM NEXT FUTURE PAVILIONの洗礼
幸運にも手に入れたチケットを手に、「GUNDAM NEXT FUTURE PAVILION」へ足を踏み入れる 。このパビリオンが描くのは、ガンダムが本来持つ「戦争の物語」の、その先の世界だ。一年戦争をはじめとする数々の戦いが終わり、平和になった宇宙で、人類がモビルスーツと共に未来を築いていく 。軌道エレベーターが当たり前になり、宇宙での暮らしが日常となった世界がそこにはあった。
展示のなかで、思わず笑ってしまったのが「ビームサーベルを使った農業」という描写だ。最強の近接戦闘用兵器が、作物を育てるために使われている。ガンダムというIPコンテンツを用いて未来の宇宙像を映像で体験させる手法は、ユニバーサル・スタジオ・ジャパンのようなエンターテイメント性を感じさせるが、そこで描かれた「ビームサーベルを使った農業」という発想の転換は、兵器の平和利用という、まさに万博的なテーマを体現していた。そして、これこそがこのパビリオンの核心なのだろう。
ガンダムという戦争の象徴を、あえて平和と共存、持続可能な未来の文脈に置き換える。これは、「いのちを救う」「いのちに力を与える」「いのちをつなぐ」という万博のサブテーマや、SDGs達成への貢献という大きな目標に、これ以上なく合致する試みだ 。兵器を農具に。この大胆な発想の転換こそ、バンダイナムコが万博という場で示した「NEXT FUTURE」への回答なのだ。
そして、このパビリオンには入館者だけの特権があった。外に鎮座する実物大ガンダム像。その全身を、迫力あるあおりの構図で写真に収めようとすると、物理的に入館者専用のエリアからでないと不可能なのである。この「ちょっとした特別感」は、苦労して予約を勝ち取った者への、ささやかで、しかし確かなご褒美だった。
その4:金銭感覚の崩壊:2880円のカルボナーラと、吹っ切れた4620円の特上サーロインカツ
万博会場の食事は、はっきり言って高い。先々週に来たとき、フードコートで紙皿に乗せられたカルボナーラが2880円もしたことに衝撃を受けた。しかし、その衝撃が逆に私の金銭感覚のタガを外してしまったらしい。「もう、どうにでもなれ」と。
今日が最後だと思うと、その吹っ切れ具合はさらに加速する。昼食に選んだのは「牛カツ 京都勝牛」。注文したのは、「特上サーロインカツ定食」。デザートもつけて、会計は4620円。この会場は原則として完全キャッシュレス決済なので 、物理的に財布から現金が減る痛みはない。タッチ一つで支払いは完了し、その時点ではあまり実感が湧かない。
後から冷静に考えると、やはり少しやり過ぎた気はする。京都勝牛の価格設定は、万博店特別仕様だ。「【元祖赤】牛ロースカツ膳」が2959円、「黒毛和牛サーロインカツ膳」は5390円もする。私が食べたのはその中間くらいだろうか。さらに上には、個室料だけで14300円、食事代が一人1万円を超えるようなVIP向けのプランまで存在する。
この万博という閉鎖された空間は、独自の経済圏を形成している。高い価格設定とキャッシュレス決済の組み合わせは、来場者の価値判断基準を一時的に麻痺させる。2880円のカルボナーラは、私にとってこの特殊な経済圏への「入門料」のようなものだった。一度その価格に慣れてしまえば、4620円の牛カツも「最後だから」という魔法の言葉で正当化できてしまう。これは単なる散財ではない。19回通い詰めたベテランとして、この万博のルールを受け入れ、その上で最大限に楽しむための、儀式のようなものだったのかもしれない。(言い訳)
その5:アートは「言ったもん勝ち」か?:会場に散らばる21の問い
18回も通ったというのに、会場内に21点ものパブリックアートが点在しているという事実を、私はこれまでほとんど意識してこなかった 。パビリオンやイベントの華やかさに目を奪われ、それらは風景の一部として溶け込んでいた。最後の一日、私はそれらすべてを巡る、アートのスタンプラリーを敢行することにした。
実際に一つひとつ見て回ると、その多様性に驚かされる。森万里子氏による、メビウスの輪を思わせる滑らかなアルミニウムの彫刻《Cycloid III》は、始まりも終わりもない宇宙の躍動を表現しているという。一方で、来場者が五大陸から集められたハート型の石をみんなで磨き上げる、冨長敦也氏の参加型作品《Love Stone Project EXPO 2025》は、国境や文化を超えた愛と平和を体現する 。
正直に言えば、「なんかアートって言ったもん勝ちやね」と思わされる作品も少なくなかった。しかし、そう感じること自体が、すでに私がアートと「対話」を始めている証拠なのだ。万博協会がパブリックアートを設置した目的は、まさにこの「来場者相互の対話と交流を図る」ことにある 。
パビリオンが未来についての「答え」を提示する場所だとすれば、アートは未来への「問い」を投げかける存在だ。これは美しいのか? これに価値はあるのか? この作品は何を伝えようとしているのか? その問いに絶対的な正解はない。価値なんて、見る人の数だけある。21のアートを巡る旅は、私自身の価値観を揺り動かし、再確認させてくれる、思索の旅でもあった。
その6:未来の騒音:空飛ぶクルマは、なぜ「クルマ」を名乗るのか
会場の南西海上を旋回する「空飛ぶクルマ」のデモフライト。それを見て、真っ先に頭に浮かんだのは、実に素朴なツッコミだった。「いったいこれのどこがクルマやねん」。
私が見たのはANAホールディングスと米Joby Aviation社が共同で運航する機体「Joby S4」 。見た目はどう見ても翼とプロペラを持つ航空機だ。しかし、このネーミングに関する野暮なツッコミはさておき、人が搭乗できるドローン、あるいは次世代のeVTOL(電動垂直離着陸機)として観察すると、非常に興味深い発見があった。
それは、圧倒的な静粛性だ。
ヘリコプターが起こす轟音とは比較にならないほど静かなのである。6基の電動ティルトローターが回転する音はするものの、これなら市街地の上空を飛んでも、騒音問題にはなりにくいのではないかと感じた。
このデモフライトの真の目的は、速度や航続距離を誇示すること以上に、この「静かさ」を社会に証明することにあるのかもしれない。「空飛ぶクルマ」という親しみやすい名称は、この革新的な技術を世間に受け入れさせるための、巧みなマーケティング戦略なのだろう。ヘリコプターが騒音のために都市部での自由な運航を制限されている現状を考えれば、この静粛性こそが、エアタクシー事業の実現に向けた最も重要な鍵を握っている。私の「静かで市街地でも飛べそう」という感想は、まさに彼らが引き出したかった答えだったに違いない。
その7:リングの内側と外側:レイガーデンが見せたもう一つの万博の顔
最後の目的地は、リングの外側、会場の南東端に位置する「レイガーデン」。EXPO ナショナルデーホールの一部で、ギャラリーやステージ、レストランを備えた複合施設だ 。正直、これまで何度も会場を訪れていながら、その存在をはっきりと意識したことはなかった。
この施設の白眉は、屋上に登れることだ。緩やかなスロープを上がっていくと、万博のシンボルである大屋根リングが、いつもとは全く違う姿で目の前に現れた。内側から見上げるのでも、上を歩くのでもなく、「外側から、リングと同じ目線で眺める」。19回目の訪問にして、初めての体験だった。
建築家・平田晃久氏らが設計を手がけたこの建物は、「生命のような建築」をコンセプトに、海や大地との関係性を称えることを目指して作られた 。帯状のスラブが折り重なるデザインは、大阪湾から吹く海風を捉え、会場と外の自然環境とを緩やかにつなぐ役割を果たす。
これまで私が体験してきた万博は、すべてこの巨大な大屋根リングの「内側」の世界だった。リングは「多様でありながら、ひとつ」という理念のもと、パビリオン群を一つにまとめ、来場者を内側へと導く結界のような存在だ。しかし、このレイガーデンの屋上は、その結界の外側に立ち、万博という巨大な装置全体を客観的に眺める視点を与えてくれる。内側から見えていた未来の断片が、外から見ることで、夢洲という人工島の上に築かれた一つの壮大な風景として完結する。最後の最後に、私は万博のもう一つの顔を見ることができたのだ。
やり残したことは、まだある
一日をかけて、私は7つの「やり残し」を片付けた。予約が取れなくて入れないパビリオンは除き、誰でも簡単にできることは既にやり切ったと昨日までは思っていたが、深掘りしてみると、まだまだ知らない万博の顔が次々と現れた。
パビリオンの行列を避け、自分の足で歩き、自分の感性でアートを問い、自分の視点を探す。そうすることで見えてきたのは、パンフレットには載っていない、万博という巨大な生命体の息遣いそのものだった。
やり残しリストは、これでコンプリートしたはずだ。しかし、この万博という場所には、きっと私がまだ気づいていない無数の物語が眠っているのだろう。そう思うと、これで終わってしまうのが、今はただ、残念でならない。